娘は小学2年生です。ダウン症候群と声帯外転障害があり、そのため気管切開をして呼吸をしています。知的には療育手帳A相当にあたります。現在は自宅で一緒に暮らしています。
トイレの自立がまだできていないため日常の介助が大変ですし、私(母親)が「情報のハブ」とならざるを得ないことも大きな負担です。すべて細かく尋ねられ、判断を迫られます。まるで高度なプロジェクトマネージャーのように設計・調整・対応のすべてを担わなければならず、通常の家庭では到底負いきれない、破綻せざるを得ない構造そのものに問題を感じています。
最近では、note記事にも書きましたが(記事はこちら)、看護師がいるにもかかわらず遠足の付添を親に求められるということがありました。そのため教育委員会や議員、学校との折衝に追われることになりました。
世間の「こうあるべき」という思想と、現実の生活や教育の場面でいちいち整合性を取らされること自体が、社会的に根強い差別の一形態であると強く感じています。
世の中に伝えたいこと
障害を持つことは、全人類、時期によらず、常にランダムなルーレット上にあり、決してあなたは無関係ではない。自分たちも当事者であるという意識こそが大切です。
これが抜けていれば、ある時点で必ず社会に殺されることになるでしょう。本当にそれでいいのでしょうか?
— なずみ さんのくらし