中学1年生の息子に障害があります。小学4年生の頃に動静脈奇形から脊髄出血を起こし、脊髄を損傷しました。四肢と体幹に麻痺が残り、現在は簡易電動車椅子で地域の中学校に通学しています。こう書くと、軽度に思われることが多いのですが、身体障害者手帳1級の重度障害です。本人の頑張りでここまで来られていると考えています。
健常であった子が急に障害を負ったということを考えると、親でも推し量れないほどの苦痛を本人は感じていると思いますが、本当に前向きな子であるので、救われています。
ところが、リハビリ入院中、主治医に進学や制度的なことを尋ねた際に「もっと大変な家庭もあるんだから(経済的に恵まれている)あなたのところはまだ恵まれている」ということを言われました。重心のお子さんがたくさん入院しておられる病院だったので、そういうのも分かりますが、それとウチの子のコトは別問題です。ウチの子はウチの子で将来生きていけるように力をつけなければならないのです。この状態は市との間でも同じで、所得制限や親の働き方で支援は使えないと言われました。
息子はリハビリを頑張っていて、歩けないと決めつけた医者の診断を覆し、現在は杖での歩行が介助ありでできるところまできました(これはかなり自費で対応しています)。
ちゃんと支援が受けられて、歩行ができるようになったり、介助が減ったりすれば、それは将来的な医療負担減になるのではないでしょうか。息子は現在、高校進学を目指して勉強していますが、支援を受けられて、成人後就職できれば、未来の税収入に繋がるのではないでしょうか?
このような疑問を持たざるを得ない状況に何度も出会いましたが、相手方に理解を得ることはできませんでした。
私が全てに諦めた状況をみて、現在通院している病院のPT(理学療法士)の方が「こんなことはおかしい。なぜ頑張っている子の芽を潰すのか。」と共感してくださり、支援いただける方を探してくださいました。でもうちの子のような知的に問題のない肢体不自由児はどこの事業所も引き受けてくれないのです(肢体不自由を扱える職員がいないため)。その中で一件だけこちらの話に共感いただける事業所があり、現在はそちらの仲介で、なんとか回せるようになりました。
先生の「経済の視点で考える」というご意見に非常に賛同致します。今の支援が将来の経済活動につながるということを考えていただきたいです。障害は人によって千差万別です。本人と関係のない親の所得制限やそんなところで障害者間の分断を生まないでほしいと思っています。
世の中に伝えたいこと
所得制限や障害の区別が障害者間の分断を生んでしまいかねません。単なる弱者支援という視点だけではなく将来の希望のある思想を持った制度設計を願います。
— りんご さんのくらし