動態デザイン研究室ってなにかね?と聞かれたらこういう答えになります。もうちょい丁寧に説明したら「人間の行動や態度をデザインする」という話です。
「意味わかんねーよ。デザインってアレだろ?なんか、アートみたいな、シャレオツな何かを作るヤツだろ?」
まぁ、だいたいこういう感じだと思います。かくいう私(指導教員)のイメージも実際問題そうでした。デザインに特段思い入れもなく、ただ「あー、なんか楽しそうかも」というノリでデザインの門戸を叩いたわけです。なので、それ自体はまったく悪いことではないと思います。
さて、そんなこんなで軽いノリで叩いて扉をくぐってしまったデザインの門ですが、そこに現れたのは「よくわからない」謎の"デザイン"という世界です。元々イメージしていた「アーティストよろしくセンス的なるものでシャレオツなものをつくる」みたいな世界もあり、一方で「そういうことじゃなくて、使いやすさとか認知プロセスとか、そういうことを考えるんだ」といった世界が共存している。そんな世界がそこにはありました。ゆえもって、おそらく多くの人達はデザインの扉をくぐった時にその様相を目の当たりにして、私のように困惑すると思います。
さて、その困惑世界の詳細は、実際にデザインの門をくぐっていただいてから細かく説明するとして「人間の行動や態度をデザインする」というところを説明してみましょう。
細かいプロセスはすっ飛ばして、困惑世界をバサっと整理してみたいと思います。様々な視点が混在しているこのカオスワールドたるデザインをもっと俯瞰した眼で見てみると、一つの共通点が見えてきます。それは「結局、それに関わる(≒使う)人たちがデザインされたモノ(手段)を通じてハッピーになるために、そのモノを設計する」ということです。つまり、結局は「人間の行動や態度を変化させることがデザインの目的」と理解できるわけです。
まぁ、そうなってくると「動態デザインって言いながら、デザインそのものの説明をしてるくね?」という疑問が浮かんできますが、実は「はい、そのとおりです」という答えになります。平たく言えば、「本当はデザイン研究室でもよかったんだけど、それはさすがにやり過ぎだな」ということから、「じゃ、デザインの真なる目的に迫っているんだぞ」という主張のために「動態」という言葉を付与したというのが実際です。なので、英語名称も普通であれば「Behavioral」を使うのが筋ですが、デザインの目的に迫る名前をつけたかったので「Change」を用いています。要は「デザインっていうのは"変化"に着目しているんですよ」っていうことを主張したいっていう話なんです。
そうなってくると、当然にしてこの疑問が出てくると思います。その答えは「人間の行動特性への着目」です。行動変化を誘発するにしても、「人間って、こういう時にこういうことを感じやすい、思いやすい、それにもとづくとこのように行動しがちである」といったようなクセのようなものを把握しておいた方がやりやすくなります。なので、そこに迫ろうというのが当研究室の志向になります。
ただ、人間の行動というのはほぼ無限大に近い数多くの因子に影響されて発生します。なので、数量的に解き明かすことがとても難しい世界でもあります。無論、そこにチャレンジするという話もありますが、当研究室ではどちらかというと「実践にもとづく観察からヒントを得よう」という指向で研究しています。
なので、「実際にデザインします、でも行動変化が目的で、さらには行動変化の様相を観察することにより知見を得ようとするので、デザインワークとしてはぶっちゃけ"なんでもやります"のノリです」というのが実際です。
ゆえもって「動態デザイン研究室の専門は何か?」と問われると、実際のところは「一言で答えづらい」という感じになってしまいます。
とりあえず、「放っておいても自然とそうなってしまうような環境・状況・システムをデザインする」というのが当研究室でデザインする際の主題です。ただし、言うは易く行うは難しの典型なのが悩ましいところです。
いかんせん、やっていることが奇妙で分かりにくいので、大体これを言われます。まぁ、具体例を示さないと何とも理解しにくいですよね。ということで、身近なところから具体的な事例を紹介してみたいと思います。
我が研究室には共有の冷蔵庫があります。これは家庭でもオフィスでもよくある光景です。さて、こうした「共有の冷蔵庫に起こりがちな問題」とは一体なんでしょう?それは「誰がいつ入れたか分からないような"謎の物品"がどんどん溜まっちゃう」という問題です。オフィスなんかではよく起こりがちな光景かと思います。さて、皆さんならこの問題にどう立ち向かうでしょうか?
よくあるパターンは「冷蔵庫の掃除日を決める」や「冷蔵庫にモノを入れる際は必ず記名するようにする」といったところでしょうか。ところがどっこい、そのルールはほぼ間違いなく失敗します。理由は簡単です。人間というのは元来「面倒くさがりな生き物」なので、何か他にやらなければならないことや優先順位の高いことがあれば、冷蔵庫のことなんてすぐに後回しになります。そして、後回しにされた「冷蔵庫のルール」はその後、思い出されることもなく、何かが腐って腐臭が漂い始めた頃に誰かが気が付き、そして「ちゃんと冷蔵庫のルールを守れ!」といった「誰かのお怒りモード」が発動することとなります。
では、一体どのようにすれば上手くいくのでしょうか?
ということで、我が研究室の対策をご紹介します。それがこちらです。

この対策を見たほとんどの人は
と言います。そして、ある人はこうも言います。
ですが、奇妙なことに冷蔵庫の中は何故かキレイに保たれています。ちなみに指導教員たる私は、冷蔵庫について学生に対して何か言及したことはありませんし、恐らくですが当研究室の所属でない学生も使用している気がします。不特定多数が使うにも関わらずキレイに保たれる冷蔵庫って不思議だと思いませんか?果たしてここにはどのようなカラクリが存在するのでしょうか?ポイントは2つです。
冷蔵庫にモノを入れる際に記名をしなかった場合、それは公共物とみなされ「誰が勝手にそのモノを食べようが使おうが文句を言ってはならない」というルールを設定した。
冷蔵庫の中身が一目瞭然で分かるようガラス張りの冷蔵庫を設置した。
ちなみに「1」のルールは学生たちに周知していません。写真にあるテプラシールを貼っただけです。ただ、これを聞いたとて「なんだ、そんなことか」というイメージは払拭できないと思います。ちなみに「1」と「2」はセットにしてはじめて効力を発揮しますので、どちらか片方だけを実施しても、恐らく失敗します。さて、なにゆえにこれらは効力を発揮するのでしょうか?これを紐解くには「そもそも人間はなにゆえに冷蔵庫の中にモノを置きっぱなしに”してしまう"のか?」を考える必要があります。
まずもって、考えなければならないのは「誰も冷蔵庫の中を汚くしようなんて思っていない」ということです。つまり、悪意をもってそうしているのではないということを理解する必要があります。では、なにゆえに冷蔵庫にモノは置きっぱなしにされてしまうのでしょうか?これには2つの要因が考えられます。
1つは「冷蔵庫にモノを入れた本人がその存在を忘れてしまう」ということです。これを思い出させるためには「冷蔵庫に入れた自身のモノを自然と確認"してしまう"タイミング」を作り出す必要があります。ガラス張りの冷蔵庫を選択したのは「つい目に入ってしまう=自然と確認してしまう」という状況を生み出すことが狙いです。
2つ目の要因は何か?というと「人間は他人のモノを勝手に触ることに躊躇を抱く」ということです。仮に「もう腐っちゃうんじゃない?」という状況を誰かが発見したとしても「自身のモノでない限り、無断で処分することに躊躇してしまう」ので、結果として放置されてしまいます。そうするとどうなるか?というと、ただただストレスだけが溜まり、モノは処分されません。その「躊躇を除外する役割」がテプラシールになります。
ということで、この問題の根底には様々な「認識」「態度」「行動」の問題が内在しています。そして、それらをすべて上手に誘導しなければ問題は解決しないという話になります。「単にテプラシールを貼っただけ」のように見える行動ですが、実は「それ以前から進めていた作戦の一部であった」という話が、種明かしになります。
まぁなんと言いますか、「たいしたことないじゃん」と思うような中にも人間の行動特性に基づいた様々な考察が含まれているわけです。そして、これが我が研究室で言うところの「デザイン」です。
でも、実際やってみようとすると全然できないんですよね。ということで、まずは身近な課題をもとに同じようなことにチャレンジしてみてください。で、チャレンジして失敗し、ちょっとした絶望感に見舞われた折には、是非お気軽に我が研究室の門戸を叩いてみてください。もしかすると、何か新たな発見がそこに見つかるかもしれません。
さて、あなたが何か「新たなアプリケーションやウェブシステムを設計する」立場になったとしましょう。その際に「気をつけるべき重要なコト」とは一体なんでしょう?
データベース設計も重要です。サーバーのトラフィック管理も重要です。もちろん、情報漏洩を防止するためのセキュリティも重要です。ですが、他にも気をつけるべきコトはあります。そのひとつがユーザビリティ(Usability)です。日本語で言うならば「使いやすさ」です。メニューやボタンがどこにあるか?が分かりにくければ使う人の効率は上がりませんし、手順が多ければ結果として効率化に繋がりません。
こうした「人間が機器を操作する部分」を「機械と人間の境界面」ということで、インターフェイス(Interface)と呼びます。そして、そのインターフェイスの設計おいて「使いやすさ」はとても重要です。
今でこそユーザビリティは一般的な言葉になりましたが、この言葉が世界中で叫ばれれるようになったのは概ね1990年代初頭と言われています。歴史的には1980年代からパーソナルコンピューター(PC)がビジネスの世界に普及し始めたことを契機として、頻繁に用いられるようになりました。「言葉そのものを誰が提唱したか?」については諸説ありますが、「The Design of Everyday Things = 邦題:誰のためのデザイン?,(1988, D.Norman)」や「Human Factors for Informatics Usability(1991, B.Shackel)」、「Usability Engineering = 邦題:ユーザビリティエンジニアリング原論,(1993, J.Nielsen)」あたりがムーブメントの火付け役となったのは、ほぼ間違いないと思います。そんなこんなで、1998年にはISO-9241-11として国際標準にユーザビリティが組み込まれました。
近年、デザインの世界ではUX(User Experience)という言葉が頻繁に登場するようになってきています。元々は先に紹介したD.Normanの「誰のためのデザイン?」で用いられたのが一番最初だと言われていますが、真相はわかりません。ただ、当初言われていた内容は比較的シンプルです。誤解を恐れず端的に説明するなら「人間って学習するから、真の使いやすさって時間経過を見なきゃダメだよね」という話です。ただ、その後、この「時間経過を追う」という概念の方が大きくなり、「サービス設計もUXだよね」といった感じで拡張された結果、「一体どこからどこまでがUXなのか?」が分からなくなってきました。2010年にドイツで専門家たちが「UXの概念」について議論し、その成果を「UX白書」としてまとめましたが、その冒頭はこんな書き出しで始まっています。
The term ‘user experience’ (UX) is widely used but understood in many different ways.(中略)There is no one definition that suits all perspectives.
ユーザーエクスペリエンス(UX)という言葉は広く使われているが、様々な意味で理解されいる。(中略)(いまや)すべての観点に当てはまるような定義は存在しない。なんともシックリきませんが、UXという言葉によって「デザインの対象」がほぼ際限なくグーッと広がったことは間違いなさそうです。
さて、今度は話がデザインからグッと離れます。どこへ行くか?といえば、マネジメントの世界です。経営学と言った方が分かりやすいかもしれません。さて、なにゆえにマネジメントの世界に行くか?については後ほど紹介しますが、まずはマネジメントの世界に起こっている地殻変動を見てみましょう。
マネジメントの大きな流れは2000年代以前と以後で大きく変動しています。2000年以前は1911年にF.W.Taylorが書いた「The Principles of Scientific Management = 邦題:科学的管理法の諸原理」を基礎に構築されていると言っても過言ではないかもしれません。彼が述べた骨子は「各タスクの分析にもとづいて労働者へ最適な割当を行う」というものでしたが、その考えはP.F.Druckerが述べた「Management by Objective(MBO)」の考え方へと引き継がれたといえるでしょう。要約すると、目標設定・タスク管理がマネジメントの骨子であり、インセンティブという名の報酬によって労働者のやる気をコントロールすることが正義であり、この点にあまり疑いを持っていない感じが支配的でした。もちろん、D.M.McGregorが提唱した「X理論とY理論」のように、インセンティブに対して異を唱える論も存在していましたが、メジャーになることはありませんでした。
ところが、2002年にD.KahnemanとV.L.Smithが行動経済学でノーベル賞を受賞した頃から少しずつ潮目に変化が生じます。彼らの主張の骨子は「人間は必ずしも経済人モデル(Homo Economicus)のように合理的に振る舞わない」というものでしたが、これはマネジメントの世界においても「モチベーション・クラウディングアウト(Motivation Crowding Theory)」や「燃え尽き症候群(Burnout)」などのような現象にもどこか当てはまるところがあるということから、マネジメントの方法を根本から見直す必要があるのではないか?という空気が蔓延することとなります。
その結果、R.H.ThalerとC.R.Susteinによるナッジ理論(Nudge Theory)がマネジメントに応用されたり、F.Lalouxのティール組織理論(Teal Organizational Theory)やW.Schaufeliによるワーク・エンゲイジメント(Work Engagement)などが登場します。いずれにせよ共通することは、トップダウン型でインセンティブ・コントロールをするのではなく、各々の責任感や興味、共感などをもとにしたモチベーションを源泉として「ある種自然勝手的に組織が動くようにコントロールするのがマネジメントの主題である」という考え方です。
動態デザイン研究室の源流はシステムデザインです。主にCRM(Customer Relationship Management/顧客管理システム)を中心に、設計支援システムの設計を行ってきました。ところが、いくつかのプロジェクトにおいて、従業員にヒアリングした際に出てくる「面倒くさい」という一言にどうしても勝てないという事態が起こりました。
いかに簡単で分かりやすく使いやすいシステムをデザインしようとも、「面倒くさい」という一言によって一蹴されてしまうのです。たとえ「ピッとかざしてください」みたいなワンアクションでデータを取得するだけでもです。「ワンアクションですらやってくれない」となると、システムデザインではもはやお手上げです。どうにもしようがありません。そんなこんなで、何をデザインしようとも「どうせ、面倒くさいって言ってやってくれないんだよなぁ…」という壁にぶち当たってしまうという状態に陥ります。
そうなってくると、段々と考え方が「そもそも働き方そのものを変えなきゃいけないし、システムの意味を理解してもらわないと話が進まないよね」といった感じになってきます。
そんなこんなで悩んでいる最中、とあるプロジェクトにたどり着きます。それは人事考課システムの設計でした。そのプロジェクトは当初「人事評価を適切に行うための基準策定とシステム反映」が目的でしたが、どうも話を聞いていくと「いくら基準を作ったとて、結局、目標設定が適当になっちゃうから意味がない」といった意見が多く出ました。そこでハタと気が付きます。「あれ?これって評価システムの設計じゃなくて、目標設定システムの設計だと考えなきゃダメなんじゃないかなぁ?」と。実は、そのプロジェクト自体は途中で終わってしまったのですが、その後に似たようなプロジェクトがあり、そこではこのように「目的の意味を変える」ことによって成功を収めました。
この一連の流れを経験した結果、システムの設計においては「そもそも、ユーザーが何かをやってくれるという前提を置いてはならない」という大前提を置くことにしました。そして、それを是正するためには「システムはあくまで手段のひとつで、人間の態度や行動そのものをうまく誘導するデザインをしなければならない」ということに気が付きました。
そんなことに気がついた際、ふと真横に目を向けると行動経済学やマネジメントの世界でナッジ理論(Nudge Theory)が注目を集めていました。元々、デザインの世界でも似たような考え方としてアフォーダンス(Affordance)やシグニファイア(Signifier)といった用語がありましたが、よくよく比較してみると、ほぼ同じような考え方であることが分かりました。そして、それを目の当たりにした結果、「あー、これからのデザインに必要なことはコレだ」と気が付きます。
これまでにお話した通り、デザインは「そもそも論」に立ち返った時、どうしても行き詰まる瞬間が出てきます。要はシステムやプロダクト、グラフィックなど、「デザインする対象物だけを取り扱っても解決できない瞬間」です。そうなると、物事の意味やそれに付随する態度、行動の流れといった「全体」を包含的に考えなければうまくいかなくなります。
ふと、視線を横に向けるとマネジメントの世界も同様の動きをしています。そして、彼らのベースとなっている知識体系は認知科学であり、進化生物学であり、統計学でもあり、多くの学問を取り入れ、そしてそれらを応用展開した上で、新たな知見獲得を目指しています。動態デザイン研究室も様々な学問の知識を応用展開した上で「新たなデザインへの知見獲得」を目指します。
それは、もしかすると「形の全くない世界の設計方法論」かもしれませんし、結局のところ「マネジメントの方法論」になるかもしれません。
最後に「なるほど」と思ったデザイナーの一言を紹介したいと思います。それは、フランスのデザイナーであるフィリップ・スタルク(Philippe Starck)が2008年にドイツのとある雑誌のインタビューに答えた際の一節です。
In future there will be no more designers. The designers of the future will be the personal coach, the gym trainer, the diet consultant.
(Philippe Starck, 2008, from the Interview with “Germany’s Die Zeit Magazine”)
将来、これまでデザイナーと呼ばれてきたような人はもう存在しないでしょう。未来のデザイナーはパーソナル・コーチであったり、ジム・トレーナーであったり、ダイエット・コンサルタントかもしれません。これまでの話を踏まえると、妙に納得感あると思いません?
ご興味をもっていただいたあなた、わたしたちと一緒に研究しませんか?お待ちしております。